洗練さを要求するiPhone

iPhoneが7月11日の日本発売開始ということで盛り上がっています。もちろん私も同じく熱病に冒されているわけなのですが、一晩おいて少し冷静になってきました。一体、なんでiPhoneはあんなに魅力的なのでしょう。その答えはこちらの記事に端的に書かれていました。

iPhoneが偉大なのはルックスでも、機能でもありません。
「洗練」ということです。
「洗練」とは、文字通り余計な者を洗い流し、練り上げられた設計ということです。
iPhoneは「何を残して、何を捨てるべきか」を徹底的に追求された製品であると言うことができます。だからコピー&ペーストすらできない「コンピュータ」にこれだけの人々が熱狂するのです。

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20080610/1213107165

機能は問題ではないのです。あれができる。これができる。もちろん、それが楽しいのは言うまでもないのでしょうが、それだけではこの熱狂的気分の理由が説明できません。そして、Appleの製品の根底にあるのはこの「洗練」という2文字であり、すべてのブランドが心から欲していて、それでいてなかなあ手に入れることのできないものも、この「洗練」なのです。

続けて、先ほどのshi3zさんのブログ記事から。

逆にいえば、これだけ洗練された商品を使いこなすには、その人のライフスタイル自体が洗練されていなければなりません。

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20080610/1213107165

そうです。洗練されたライフスタイル。僕たちにその製品を欲しいと思わせるものは何か。車が欲しい、マイホームが欲しい、など色々過去にもあったでしょうが、つまりはそれが洗練されたライフスタイルだったから、というのが理由でしょう。裏を返せば、いつまでたっても洗練された生活をおくれないがゆえに僕たちはその象徴を欲しがるのはないでしょうか。毎朝、ネクタイにスーツ。満員電車に揺られて会社に到着。どうにも古くさい体質の組織のなかで自分のキャリアについて悩まない日がない生活。そんな洗練とかけ離れた現実というものから目を背けさせてくれるプロダクト。それがiPhoneなんじゃないか、と。

iPhoneは生産性を向上させるか?

iPhoneはウェブブラウズができ、音楽を聴くことができ、電話もでき、その他アプリも満載というデバイスだと私は思っているのですが、本当に買うべきかどうかは「それによって生産性が向上するか?」という一点にあると考えています。ブログの記事の草稿が書けたり、マインドマップで頭の中を整理できたり、情報の引き出しが効率的になったり。3点目については少し期待できそうですが、それでもブログの下書きをしたりは少し難しそうというのが正直なところ。

そういう意味でいうと、私に必要なのはiPhoneよりもむしろMacBookかMacBookAirなのだと思う。つまり、本当に欲しいのはモバイルのMacであって、iPhoneじゃないのではないか。

そうやって、自分を言いくるめなければならないほどiPhoneは魅力的でほんと困った存在です。