RSSリーダーはもう要らない? FriendFeedで一期一会の情報接触

情報分類の考え方としてフロー型とストア型というのがある。典型的に言うとWIkiはストア型でブログはフロー型という感じか。

最近、FriendFeedで情報のキャッチアップをするようになり、RSSリーダーGoogleReader)をほとんど見なくなった。

RSSリーダーやメールというのはストア型でもないが、かといってTwitterのようなフロー型でもない。ちょうど中間に位置する感じだ。メールの受信箱に未読メールが貯まっていく忙しい人なら、間違いなくRSSリーダーでも同じことが起きる。未読が1000+になってあふれ出す。結果、スキップスキップでフィードを高速スキャンしていき、ブラウザにはタブがずらりと並ぶことになる。

メールもフィードも向こうから飛び込んでくるという点では同じだ。メールマガジンを何通も購読してパンクしたようなことはフィードであれ起きる。

そして、メールがそうであるようにRSSリーダーは未読を処理するように強要してくる。そして、大量の未読処理を行う煩わしさから購読するフィードを限定しようとするのだが、いつの間にかまた元の木阿弥。この繰り返しでもう何年も過ごしている。

Twitterは究極のフロー型だ。つぶやきはつぶやきでしかなく、留まるものではない。儚く一瞬で消えていく。

しかし、Twitterを有用性という点で見ると限界がある。URLに言及することもできないことはないが、それを主目的にしていない。ストリーム型でフィードを消化できればいいのにと考えたかどうかは知らないが、FriendFeedはフロー型のフィードリーダーとして画期的に私のウェブライフを変えてくれている。

RSSリーダー上のフィードがあふれ出した時点で、私はその全てを追うことは不可能だということを思い知らされた。一日さぼれば、もう昨日のニュースにキャッチアップする意味も見いだせなかった。なにより未読記事がたまることがストレスだった。いちいちウェブサイトにアクセスしないといけない煩わしさから解放されたかと思ったら、今度はその容易さゆえにストレスがたまったわけだ。なんとも奇妙なことだけど。

FriendFeedの良いところはいくつもあるが、とりわけ気に入っているのは情報を垂れ流してくれるということだ。つまり、私たちがその情報にアクセスできるかどうかというのは一期一会とでも言うべき儚さの上に成り立っているということ。無理にキャッチアップする必要はない。話題の記事であれば、誰かが再三にわたって取り上げるものなのだから、目に付く可能性は高い。

さらにソース毎に並び替えられる自由さが素晴らしい。このおかげでYouTubeだけ選り抜くことができる。また、friend, me, everyoneという区分けもシンプルでいい。自分の関心事を中心としてその周辺をfriendのフィードが囲んでいる感じ、さらにもっと輪を広げればウェブ上の関心事に首を突っ込むことも簡単だ。FriendFeedのShareOnの機能はdel.icio.usTumblrのような役割を果たしてくれる。meで絞り込むと簡易ブックマークとなる。さらに検索機能が高速なんだからもうやめられない。

使えば使うほどによく考えられているサービスだと感心してしまう。