自社の利益を優先せずにコンテンツ制作提案をするには?

Content Management Perfect Guide

制作会社というのは、例えばパンフレットにしてもカタログにしても、販売するためのツールを作っている。制作会社はそういったツールをクライアントの要望にこたえるかたちで作るわけだけど、それがどのような使われ方をするかまでは知り得ない。
ツールをつくる、そこで終わっている。
真の目的は「売る」ことにある。でも、そこまで関わることができない。顧客がどういったものを欲しているのか、どうすれば売りに繋げることができるのか、そこまで考えたうえで制作するのが本来であるはずなのに、そうなっていないことの焦れったさをずっと感じていた。

売ることが目的で、ツール制作はあくまで手段にすぎない。なのに、制作会社にとってはツール制作こそが目的。手段が目的化しているわけだ。

顧客のニーズを聞き取り、その要求に応えるための「ものづくり」なのだけど、そのために費やす労力なり工夫というものが果たして目的に貢献しているのかどうか。常に目的を捉えたうえでなされるべき制作作業であるべきなのに、手段それ自体が目的化してしまい閉じてしまっている。

よく思うのが過剰制作・過剰サービスというやつだ。趣向の凝りまくったデザインだとか、細部のこだわりだとか。もちろん、そういったこだわりが「ものづくり」においては重要だというのはよく理解しているつもりだ。しかし、それが本質ではないはず。そこは評価するところではないのだ。いいものを作るということと売れるということは全く別のことであるから。

一例でいえば、会社案内サイトのトップページがフラッシュで凝った作りがされていても、それとそのサイトを訪れる人の目的と何の関係があるのか。サイト訪問者はそんなことよりも電話番号だとか、アクセス方法とかを知りたいんじゃないか。凝ったフラッシュアニメーションとかは全然必要ないはず。

しかしながら、制作会社にはそれをせざるを得ない事情がある。なぜなら、手段を手段として割り切って純粋に目的のために徹すると制作費がとれないから。制作費というのは、突き詰めて言うなら「どれだけ手をかけたか」にかかってくる。どれだけ目的を達成できたかではなく、手段としてどれだけ立派なものができたかということを目指してしまう。

儲けようとしている制作会社はそうやって無駄を生み出す。発注元もその無駄を見抜けず、コストを払っている。それはそれでそういうエコシステムなんだから、一向に構わないんだけど、無駄を生み出して自分たちを苦しめているのが自分たち自身だということには気づいた方がいい。

この話はウェブ制作にとっても無関係ではない。だが従来のカタログやパンフレットと違い、ウェブは制作だけで完結しない。反応もダイレクトに来る。ユーザーの声も近い。よって、手段と目的とが乖離しすぎるということがそんなにないんじゃないか。ウェブ制作ということとSEOは同じ範疇の話であるし、つまりは制作が売上に直結しているということ。より目的を意識しやすいのがウェブと言える。

初期の頃はウェブも従来のパンフレットと同じとらえ方がされていた。今でもその状態のサイトは多い。顧客のための最良の答えというのが、自社の利益にならないことがあっても、それを言えないのが制作会社なのだ。無駄だとわかっていても、制作費というものを計上して、それで食っているがゆえ無駄をせざるを得ない。本当は顧客のためを思って真実を言うべきなのに、それができない。

結局何が問題なのか。ひとつは発注側の意識・リテラシーというものがあるようだろうし、もう一方では自社の利益優先でなくビジネスをできる制作会社というのが少ないことがあるように感じる。もはや、それは制作会社と呼ばないのかもしれない。顧客のビジネスのために自社の利益を優先しないで進言し、成功を導く。なんて考えると、それはコンサルティングとかいうことになるのだろうか。

ああ、なんだか一人合点した。自分の目指している方向。目指すべき方向。

キーワード。
戦略。コンサルティング。コンテンツマネジメント。ユーザー視点。