ウェブの本質とものづくり

ウェブは儲からない、というようことをよく聞く。それは私が印刷会社に属しているからこそ聞く言葉なのかもしれない。印刷物のビジネスの基本は「ものづくり」だ。いかに安く品質の高いものをつくって配送するか?いわゆるQCD。別の言い方をするならば、仕入れ・加工・販売というような流れ。紙とインクを仕入れて、組版したものを刷版・印刷して、納品する。なので工場もあれば、倉庫もあるわけだ。

ものづくりはまた「量」のビジネスでもある。大量の仕入れと大量の販売。

では、ウェブはどうか。ウェブは「ものづくり」なのか?そんなことをつらつらと考えGoogleをさまよっていた。

「ものづくり」と「コトづくり」の両立を考える - 材料で勝つ - Tech-On!

そんな折り、面白いコラムを見つけた。そして、この「コトづくり」というのこそ、ウェブの本質ではないかと思い、濃い霧が少し晴れたような気持ちになった。

もの作りというのは、ひたすら作る作業である。そして「いいもの」を作るには多くの時間を注がねばならないという考えが根底にある。逆にいうなら、多くの時間をかければ「いいもの」ができるという信念とでも言おうか。この信念が「働ければ働くほど見返りがある」と信じる勤労観につながっている。もの作りの現場に残業が多いのはなぜか?その答えは「いいもの」を作るという信念にあるように思う。日本が残業社会なのも、つまりは「ものづくり」の社会だから当然なのかもしれない。

先にあげたコラムにもあるのだが、このことは働くことそれ自体を目的化していった。何で働いているのか?と問われれば、そこに仕事があるから、というような。本当は目的があって、そのために働くのだと思うのだけど、往々にしてこうした手段と目的の逆転は起きると言う。

そこで対比として欧米の勤労観というものを挙げている。曰く、それは「いかに働かない工夫をするか」というもの。非常に対照的。私の勤労観もまさに同じくでライフハックだなんだと関心があるのも、つまりは「いかに働かない工夫をするか」というところにつきる。ラクをしたいのである。

話がそれてしまった。

ウェブに「ものづくり」のプロセスがないかというと全然そんなことはない。ただ、本質はそこでなくて、その前後のビジネスモデルとサービス、スマイルカーブでいう両端のところだ。制作それ自体が目的化しないのは、前後とあわさったメディアだから。例えば、印刷物というのはそれ自体で完結している。ビジネスモデルも、効果計測もない。刷って製品ができあがって、それで手離れする。仕事としてはそこで完結している。ウェブの場合はどうか。サイトが出来上がったところで納めて終わりにはならない。むしろ、そこからがスタートだ。そういった違いがある。サイトをつくるにしても、それ自体が実験のようなものだ。しかも近年クロスメディアなど、他メディアもからめてウェブに集約するような発想というのが増えている。中心はウェブだ。そこを周辺と考える他メディアとの温度差というのは多い。どのメディアも自分のところが中心だと疑ってもみないものだ。

ウェブの仕事はアイディアがほとんどだと思う。その意味で労働集約型の仕事ではない。労働するところにおいても「いかにラクをするか?」という発想が隅々に満ちている。プログラマーの三大美徳(怠慢・短気・傲慢)が代表するように。

プログラムを書く。それも確かにものづくりではある。けれども、その根底にあるのが、こういった美意識なのか、働くことを目的化した勤労観なのか。それは大きな違いだ。

まとめてみる。

  • ウェブ制作はスマイルカーブの両端も含めたもの・コトづくりである。
  • 製造業のように量の概念がない
  • ものづくりの現場にありがちな勤労観と逆の美意識が根底にある

ウェブが儲からないのではない。旧来のように儲からないだけで。

では、旧来のように儲けようと思ったらどうしたか。いままでのように稼ごうと思ったら、やはり大きな組織で大きな仕事だろう。だが、そこでウェブ的価値観と相容れないものを感じることになる。ウェブ志向と親和するのはスモールビジネスだとはずいぶんと前から漠然と思っていたけれど。

というわけで、まとめキーワード。
ウェブ。スモールビジネス。ウェブワーカー。フリーエージェント

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