文体の選択、面倒な日本語

文章を書くのは難しい。そう感じる人は少なくないはずです。私もそうしたことを常々感じる一人です。ちょっとしたブログの記事を書くのにも1時間以上費やしてしまうこともしばしばです。問題はひとつに文章構成力があり、もうひとつは文体の問題がありそうです。

です・ます調の文章が少ない理由

文体というのは大きく「だ・である調」と「です・ます調」の2つに分かれます。前者が論文や報告書に使われるのに対し、後者は手紙に使われるが多いように思います。

私の場合、気をつけないと「だ・である調」に傾きやすく、「です・ます」というのは億劫に感じる方です。ですが、最近になって「です・ます」で書くことを意識するようになりました。

なぜかというと、私の最近一番の楽しみにしているブログにLifehacking.jpがあるのですが、その文章をお手本にしたいという気持ちがあったからです。勝手にロールモデルにさせてもらってます。

http://d.hatena.ne.jp/goyoki/20080302

こちらのエントリーにもありますが、「ブログやテキストサイトを書くことにおいて、自分にとって憧れとなる人はだれか」ということを考えれば、もう文体に迷うことはないように思います。以下hはご紹介いただいている結城浩さんの文章です。私も一度じっくりと読みたいと思います。

文体の選択はどこから?

私の場合、上記のような理由から「です・ます調」を意識して選択したわけですが、そもそも文章を書くうえで文体の選択ということは意識するものでしょうか。おそらく、自然とそうした文体になっているというのが多いのではないでしょうか。それまでに報告書や論文を書いていることが多い人は「だ・である調」に傾きやすいでしょうし、手紙をまめに書く人であれば自然と「です・ます調」になるものなのではないかと思います。

そうであれば、自分が「です・ます調」にとっつきにくかったのは今までの経験値が影響しているようです。人は影響を受けます。「です・ます調」のブログを好んで読めば、文体もそのようになるものなのでしょう。いずれにしろ、文体の選択というのはスタイルの大きな部分をしめるものなので統一だけはしていきたいものです。

英語であれば悩まない?

文章ということを考えるとき、私は英文のことを考えがちです。それは英語の文章が好きだというのもあるでしょうし、翻訳文学なども好きだということもあるでしょう。英文の何が好きかというと、「私・僕・おれ・自分」といった主語を考えなくていいということ、そして「文体」を考えなくていいことです。

I think.

これだけのセンテンスに一体日本語だと何通りの言い回しがあるのでしょうか。「おれは思う」も「私は思います」も " I think" なわけです。言い回しというのは、前後の文脈から考えなければなりませんが、文体を変えるだけで日本語での伝わり方というのはずいぶんと変わってしまうます。そう考えると、やはり日本語は多様であるというのとともに、面倒な言語だと感じてしまうのです。